市松人形について考察する

私は香川県の生まれですが、記事タイトルの市松人形は香川県で製造されていたのではないでしょうか?

小学校の時の記憶ですが、放課後直ぐに家に帰らずに新しく転校してきた友達の家に遊びに行った際に、その友達の新しい家の庭に人形の顔だけが沢山天日干しされていました。

後日、父親か誰か大人に聞くと、あの御家は人形士でいろいろな人形を作っているそうでした。

中讃から西讃に旧暦の9月1日に、後継ぎの男子が生まれた家で「だんごの粉」で作り、色派手な衣装で飾っる初午の馬も作ってくれるそうす。

私が生まれ育った昭和10年代は初午の午節句もあまりはもう行われていませんでしたが、一度私の兄の午節句のだんごの馬は視た記憶があります。

お飾りした後に分解して、そのだんごを食べるのですが、敗戦後の食料難の時代でも、少しも美味しく感じなかった事は今でもはっきりと覚えています。

市松人形は太平洋戦争の前あたりに、香川県では盛んに作られていたようです。

もう10年以上前になりなますが、アメリカのノースカロライナに留学した夫に付いて渡米した娘がアメリカの博物館で市松人形の実物を視たそうです。

なんでも大正時代にアメリカからメタセコイヤかはなみずきの苗を送って頂いたお返しに日本政府が市松人形を100体ほど送ったという新聞記事を義母が記憶しているそうです。

その義母もすでに傘寿を過ぎ、今は介護施設に入っています。

私達夫婦は離れて住んでいるので、毎月はお見舞い行けず、妻も気にしているようです。

そんはわけで市松人形は渡米した国際的な人形でもあり、確か香川県が産地と思われます。

市松人形専門店はここ